パスカル・ル・ガック氏 特別インタビュー

職人気質を体現したようないぶし銀のショコラは、そのシンプルな見た目とは裏腹に、風味が限りなくやさしいカノンを重層的に奏でる――。 

パリ郊外の歴史豊かな町、サン=ジェルマン=アン=レーに店を構えてから、今年2023年で15年。しかし、目の届く範囲でと、変わらずこの小さな店舗にこだわり、若いスタッフに囲まれて現場でショコラづくりに勤しむ、パスカル・ル・ガック氏。
穏やかな話しぶりの中に、ふつふつとたぎる信念と情熱。もはや、名門「メゾン・デュ・ショコラ」の元クリエイティブ・ディレクターの肩書きを持ち出すまでもないが、ショコラとの出会いは偶然の中の必然だったことを物語る、ショコラに彩られた半生を改めてお聞きした。

 

――ル・ガックさんの子どものころの思い出の味といえば?

子ども時代はブルターニュで過ごしましたが、おやつといえば、塩バターとチョコレート。グロ・パンと呼ばれる大きな田舎パンをスライスし、塩バターをたっぷり塗って、その上に砕いた板チョコをのせたり、ココアパウダーをふりかけたものがお約束だったんです。このおやつの時間が楽しみでねえ。

 

――そのころからショコラティエになりたいと?

 いえいえ、ショコラティエになるなんて夢にも思いませんでした。本当に偶然なんですよ。私はパティシエからスタートしたんです。幼いころから、母の料理の手伝いをするのが好きでね。それと当時、住んでいた家の向かいにパン屋があって、毎日のように通っていたんです。焼きたてのパンの香りや、オーナーの奥さんが厨房でお菓子を作る姿は、子ども心に焼きついていましたし、食にまつわるすべてのことにとても惹かれていたんです。それで、パティシエの道に進もうと、パリのエコール・フェランディ(パリ商工会議所付属の職業訓練校)でパティスリーを学びました。

学校に通う傍ら、サン=ジェルマン=アン・レーの、「グランダン」というパティスリーでも見習いとして働きました。その店は、いわゆる伝統的なパティスリー。オーナーは昔気質の人で、労働環境も昔ながらのままでキツかったですが、たくさんのことを学びました。

 

その後、フェランディ校を首席で卒業。MAF(フランス最優秀見習い生コンクール)への出場資格を手にするも、仕事に追われて予備選考の準備に時間が取れず、決勝には進めなかったのだと懐かしむル・ガック氏。

1年ほどサン・ジェルマン=アン・レーの店で働いたころ、他の店も見てみたいという思いが沸きあがったという。

 

本当は、パリ市内のレストランを紹介されたんですが、空きがなかった。ところが、その店のオーナーに言われたんです。「残念だ、デザート部門はちょうど取ってしまったから。でも、君は真面目だし、私の友人の店を紹介しよう」と。それが、ロベール・ランクスさんが2年ほど前に立ち上げた、「メゾン・デュ・ショコラ」でした。

 

 

――ショコラとの出会いというわけですね。

ええ。だから、本当に偶然が重なって、ショコラの世界に入ったんですよ。ちょうど、前任者が辞めたタイミングだったので人を探していて、私も純粋なパティスリー以外のところで経験を積みたかったし、ならばやってみようと。働きはじめてすぐに、自分にあっているなと思いました。チョコレートという素材も環境もね。それに、ランクスさんは、とても洗練した感性の持ち主で、新しい世界観をお持ちでしたから。

 

――新しい時代のショコラということでしょうか?

80年代初頭は、ショコラだけを専門に扱う店などほかにはなく、ショコラティエという肩書き自体、存在しない時代だったんですよ。私が働いていたパティスリーでも、ショコラを作るのはクリスマスと復活祭の時期だけ。それにショコラといっても、ともかく甘すぎる代物で、アルコールを強く利かせたガナッシュや、トリュフ、あとはプラリネも多かったですね。空調設備が整っていない時代ですから、保存期間をのばすために、砂糖とアルコールを多用する必要があった。そんな時代にランクスさんは、新鮮なフルーツやスパイスをガナッシュにあわせて、まったく新しいショコラを生みだしたんです。

 

ル・ガック氏が「メゾン・デュ・ショコラ」で働きはじめたころはメゾンの黎明期。ル・ガック氏とランクス氏、他にもう1人というわずか3人の時代から、メゾンが進化し巨大化していくのを間近で見守った。

 

――25年在籍した「メゾン・デュ・ショコラ」を去るというのは、非常に大きな決断だったのでは?

ええ、「メゾン・デュ・ショコラ」というメゾンが大好きでしたしね。製造責任者を経て、終盤はクリエイティブ・ディレクターという肩書きでした。実際に現場でショコラを製造するのではなく、商品の開発やPR寄りの立場になったんです。でも、私は職人であり続けたかった。

 

 

――今年2013年は、お店をオープンされてから15周年にあたりますが、商品のラインナップやレシピは変化しましたか?

基本的にクラシックな定番商品をベースに、毎年新作をいくつか出しています。でも、大部分はクラシックのままですね。

ただ、こんな小さな店でも、年々、製造量は増えていて、生産量が多くなると、計算の上では単にレシピの配合を増やせばいいだけですが、実際に作ると同じ味わいにはなりません。レシピを単に割合で増やせば同じものができるというわけじゃないんです。私の場合、クリスティーヌ・フェルベールさんのモノづくりと、取り組み方が似ています。彼女はすばらしいアトリエもあって、たくさんジャムを作っているけれど、今でも昔ながらのレシピで少量ずつ手作りしていますよね。私もむやみに機械に頼らず、手作りにこだわりたいと思っているんですよ。

 

――ご自分に一番似ているショコラは?

「スパイスのショコラ」ですかね。個性的なのに、とてもデリケートだから(笑)。

 

そして、「スパイスのショコラ」を味見してくださいと手渡す。こちらがショコラを食べ終えると、自らも同じショコラを口にし、「うん、いいね」と納得の表情。

 

――ル・ガックさんのショコラは、どんなショコラですか?

私のショコラは、いくつもの味わいのステップがあります。カリっとした食感だったり、とろっとやわらかなテクスチャーだったり、まっすぐな素材の風味だったり……そして最後に、カカオの風味が少しずつやわらいでいくという感じです。

基本的に、あまり素材はいくつも混ぜず、複雑にしないように心がけています。使う素材とのバランスを取るために、色々な種類のチョコレートをミックスしてあわせ、すべてのアンサンブルのバランスを取っています。チョコレートの味わいのあとに、素材の味わいを感じ、再びチョコレートの味わいが戻ってくるというのが理想ですね。

 

 

――ショコラを作る上で大切にされていることは? 

なによりも味です。素材のフレッシュな味わいを生かすこと。そして、丹念な仕事をすること。毎日、お客様が商品を買ってくださるわけですから、その方たちへの敬意を表すためにも、いいモノを作る必要があります。

ショコラティエとパティシエはまったく別の仕事で、製造過程も、味わいの出し方も異なります。そのハードルを越えてこそ、わずか7~8グラムの小さな宇宙の中に、味わいが生まれるんです。そして、甘すぎず、オイリー過ぎず、強すぎずという配合、つまりバランスが重要です。たとえば、「花椒ととうがらし」は、花椒とエスプレット唐辛子をアンフュージョンしたショコラですが、目指したのは、ほのかに辛味も感じながらも、チョコレートの味わいの妨げにならないというバランス。素材の味わいが強烈に主張するように仕上げるのはむしろ簡単で、味わいの強さをうまく生かすというのが一番難しいんです。絶妙なバランスを見つけるのが一番難しい。一年のうちで、素材やチョコレートの味わいが若干異なったとしても、同じ味わいに仕上げなくてはいけませんし。本当に繊細な仕事で、すべては素材を扱う人にかかっています。たとえいい素材を使ったとしても、扱い方が悪ければ、いい結果にならないのだから。

それと、いかなる職人でも、いいモノを作りたいと思っている人は、よい素材選びなくしては成り立ちません。もちろんノウハウも大事ですが、一番重要なのは、よい素材を使うこと。よい素材を見極める能力も必要です。でも、なによりも、この仕事が好きであることが大切ですね。自分の仕事を愛していなければ、いいモノは生まれません。

 

――それでは最後に、ル・ガックさんにとって、「ショコラティエ」とは?

ショコラティエとは、素材を愛し、自分のしていることを愛している人。同時に、味わいに対する繊細さを持ち、柔軟に取り組める人。ショコラというのは、とても繊細な素材ですからね。理解するのも、扱うのも、保存も、混ぜあわせるのも難しく繊細です。“デリケート”という言葉こそ、ショコラをもっとも的確に表す言葉じゃないですかね。まずはショコラというものを理解しなければ、おいしいショコラは作れませんよ。

 

 

パスカル・ル・ガック(Pascal Le Gac)

フランスのブルターニュ地方出身。パリのエコール・フェランディ(パリ商工会議所付属の職業訓練校)でパティスリーを学んだ後、サン=ジェルマン=アン=レーのパティスリー「グランダン」での見習いを経て、ロベール・ランクス氏率いる「メゾン・デュ・ショコラ」へ。ランクス氏の右腕として25年在籍し、この間、同店でミシェル・ショーダン氏とも働きショコラの経験を積む。2008年に独立し、パリ郊外のサン・ジェルマン=アン・レーにショコラトリーをオープン。翌年から、フランスのショコラ愛好家クラブ(通称C.C.C.)の選ぶ、フランス最優秀ショコラティエの一人にランクづけされている。2019年にはフランス国内外で初となる2号店として、東京に店舗をオープン。